
プレイヤーとしての成長だけがキャリアではなかった。福岡で見つけた、次の役割。
株式会社福岡銀行
柳 竜介さん
プロフィール
熊本県出身。小学校から高校までを福岡で過ごし、大学進学を機に福岡を離れる。卒業後、保険会社に新卒入社し、その後、シンクタンク、コンサルへの2度の転職を経験。通算17年を東京で過ごし、40歳を前に福岡へのUターン転職を決断。2023年1月、株式会社福岡銀行に入行。入行後はシステム部門の予算策定や調達関連の業務に携わり、現在は主任調査役として先述の業務に加えて、人材育成やキャリア採用活動、業務改革などシステム部門の組織力強化を担っている。
はじめに
インタビュアー
今日はよろしくお願いします。柳さんは、福岡へのUターン転職から丸3年ですね。
柳さん
生まれが熊本なんですけど、小学校から高校までは福岡で過ごしているので、ほぼUターンですかね。
インタビュアー
率直に、今の思いをお聞かせください。
柳さん
今は、Uターン転職して「絶対に良かった」と感じています。
プラス面で言えば、東京と比べて明らかに住環境が良いですね。これは福岡という街の特徴でもあると思います。
仕事面でも、東京と比べれば、かなり進めやすいです。新卒で入った保険会社のような大企業で難しい仕事に携わってきた経験が、現在の仕事にかなり活かせています。
しかも、自分ではこれまで通りに仕事をしているつもりでも、「来てくれてよかった」と言っていただける。周囲から好意的に評価していただけるのは、かなりありがたいと感じています。

東京での「激務」が、福岡での仕事を支えている
インタビュアー
東京で経験された「難しい仕事」について、もう少し詳しくお聞かせください。
柳さん
私がいた保険会社のIT部門というのは、自分たちで手を動かしてシステム開発するというよりも、ベンダーさんに委託して進めてもらうスタイルでした。その中で私は、トラブルが発生したときや、大きな案件で難しい交渉をしなければいけないときに対応する立場でした。
難しさの一つは、金額の規模です。高額な契約が少なくありませんし、相手方も、大規模なベンダーさんが中心です。そうしたベンダーさんの多くは、保険会社の取引先という一面もあり、さまざまなステークホルダーにとって問題がないように進めないといけない、ということがよくありました。
あと、大企業同士の契約は、契約条件を定めるのがとても難しく、訴訟に発展することも珍しくありません。そういった環境の中で、いち担当者として、しかもなかなか頼れる人が少ない中で、相手方との交渉に携わっていました。
それでいて、保険にご加入いただいているお客様はもちろん、社員や、その先の保険募集人・代理店さんまで含めると、影響が及ぶ範囲は桁が変わるほど広いんです。たった一つのミスでも影響範囲が異様に広く、とても大変でした。
インタビュアー
その中でも、特に大変だった仕事はどんなものでしたか?
柳さん
当時、私はPMOのような立場で、プロジェクトを前に進める役割でした。そのプロジェクトが一番の激務でしたね。保険会社の基幹システムを刷新するという非常に大きなプロジェクトで、大規模な要員体制のうえで実施していました。
私は保険会社のIT部門側で業務に携わっていたんですが、プロジェクト側から毎日のようにエスカレーションされてくる課題を全部さばいていました。
今、当行では基幹システムの刷新を進めていて、私もその業務に一部携わっています。
当時の忙しさや仕事の規模と比べると、現在の私の担当業務は「結構やっていけるな」という感覚で仕事ができています。
インタビュアー
忙しさへの免疫がついている、ということでしょうか。
柳さん
そうだと思います。今はそのPMO業務にどっぷり入っているわけではないですが、何かあれば手伝うこともできますし、これまでの経験から、「こういうこともあったな」と、いろんな引き出しを使って課題に対応できる。多くのベンダー企業と一緒に仕事をしてきたので、「このベンダーさんはこういう傾向だよね」ということも分かりますしね。
「自分が成長する」から、「周囲の成長機会をつくる」へ
インタビュアー
Uターン転職では、キャリアダウンになる、仕事のスケールが小さくなるといったことも言われますが、実際に転職してみてどうでしたか?
柳さん
正直なところ、プレイヤーとしての成長は、東京や大企業と比較すると、伸び幅は小さくなるでしょうね。
Uターン転職してから最初の1~2年は、それまでの業務環境が忙しすぎたこともあって、少し気持ちがのんびりしました。ただ、これからは自分の成長だけではなく、一緒に働くメンバーの成長機会をつくっていけばいいんじゃないか、と思っています。
インタビュアー
プレイヤーからマネージャーへと視点を変えてみると、それも成長の一つと捉えられる、ということでしょうか。
柳さん
そうだと思います。東京にいたときは部下がいなくて、全員同僚という感じでした。
ただ、今は主任調査役という役職で、マネジメントが求められる立場です。東京にいたときもそういう要素はあったと思いますが、難易度が非常に高い仕事が多く、どちらかというと当時は第一線で仕事をする環境だったので、そこは違うと思いますね。

「いつか帰りたい」が、40歳で「そろそろ」に変わった
インタビュアー
Uターン転職を考えるようになったのは、どのタイミングだったんですか?
柳さん
コンサルに転職して、まだ1年も経っていない頃です。ちょうど40歳になる年でした。いつかは福岡に、九州に帰りたいとは思っていたんですけど、40歳という節目にあたって「そろそろかな」と。勝手な節目ですけど(笑)。
それからUターンに関する情報収集を始め、九州に帰るという選択肢を現実的に考えました。
当時まだ結婚していませんでしたが、今ここで結婚したら多分ずっと東京だろうな、帰る確率は低くなるだろうなと思いまして。
インタビュアー
「いつかは帰りたい」という思いは、ずっとあったということですか?
柳さん
東京に行ってからはずっと思っていました。保険会社に入って1年目は福岡にいましたけど、2年目の途中で東京に異動し、以来ずっと東京で暮らしていました。
その間にも、プライベートがうまくいかなかったり、仕事でのストレスで「帰りたい」と思うことは何度かありました。
ただ、そういった不満を解消するために、その場を投げ出して地元に帰る、という選択をするのは良くないと考えました。ですので、年齢的な節目にあたって、「ここから先の選択肢を増やす」という思いから、福岡への転職という道を考えるようになった、ということです。
インタビュアー
Uターンすることについて、どなたかに相談されましたか?
柳さん
少なくとも、家族には相談しませんでした。変な期待をされても怖いので。「帰ってくる、帰ってくる」となってしまうと、もし帰らなかった場合に「なんで?」と言われるじゃないですか(笑)。なので、決まってからでいいや、と。
保険会社時代に仲が良かった先輩には、「福岡に帰ろうと思っているんですよね、選択肢として」という話をしました。3人くらいに話したんですが、皆さんだいたい中途入社組で、その方々も転職経験があるので話しやすかったですね。
それで、話した全員から、「いいんじゃないの。別にずっとここにいるわけでもないだろうし、出身も関東じゃないんだしさ。全然ありじゃん」と言われて、背中を押してもらった感じはありましたね。
「福岡に、自分の仕事はあるのか」から始まった転職活動
インタビュアー
Uターン転職をイメージして、一番気になったのは何でしたか?
柳さん
仕事ですね。「そもそも福岡に自分の仕事があるのか」というのが一番でした。それまで、保険会社では東京のIT部門、シンクタンクやコンサルでも東京勤務という環境で働いていたので、まず、本社が福岡にあることが絶対条件でした。
その上で、自分は開発系エンジニアではなく、IT部門の管理系の職人のような者です。そんな人にニーズがあるんだろうか。そこが一番の心配でした。
インタビュアー
探し方としては、どんな方法で?
柳さん
一つは、登録してスカウトを待つサービスです。そのサービスでは、希望勤務地を福岡県だけに絞らず、全国の大都市にしていました。
それから、大手のエージェントにも登録しましたが、届くスカウトはコンサル案件ばかりで。たくさんの案件に当たっていくようなスタイルも、自分には違うな、と。
ただ、保険会社からシンクタンクに転職したとき、紹介会社に転職のお手伝いをお願いしました。その方はちゃんと話を聞いてくれ、候補先を提案してくれる方でした。自分の今後のキャリアをしっかり考える機会にもなりましたし、その方と話さなければ、シンクタンクに転職することはなかったと思います。
そういう経験から、福岡は東京と比べると企業も求人も少ないでしょうし、ちゃんと話を聞いてもらって、一つひとつの機会を大事にしたいと思いました。
そこで「Uターン転職」で調べた結果、上位に出てきたのが「リージョナルキャリア福岡」でした。
インタビュアー
「そろそろ帰りたいな、でも決めきっているわけじゃないし」という段階では、誰に相談して、どう探せばいいのかも分かりにくかったんですね。
柳さん
分かりにくかったですね。誰にどう言えばいいんだろうか、というところから分からなかったです。
そういう時に担当の瀬川さんにお話を聞いてもらって、福岡に帰る選択肢が一気に現実味を持ちました。とても感謝しています。

通勤も働く時間も、福岡ではずっとコンパクトに
インタビュアー
暮らしの面では、どんな変化がありましたか?
柳さん
一番大きいのは、通勤が楽になったことですね。今は自宅から駅まで歩いて十数分です。東京では練馬区に住んでいて、池袋まで電車で10分~15分で出られる便利な場所ではありましたが、職場が都心部のときには、西武線と山手線がものすごく混雑していて……“ギチギチ”な状態の電車で、毎日しんどい思いをしながら行き帰りしていました。
それから、働く時間もコンパクトになりました。以前は夜22時“から”仕事、ということも珍しくありませんでしたが、今は遅くても20時には帰宅しています。予定があるときは早く帰りますし、メリハリをつけることもできています。
休日の過ごし方については、あまり変わっていない気がします。土日のうち1日はどこかに出かけて、1日はゆっくりしています。
あのまま仕事も、通勤も、住環境も、あらゆる面で過酷だった東京での生活を続けていたら、とても疲弊していて、今とは違っただろうなと思っています。
インタビュアー
逆に、「これは東京が良かったな」というところはありますか?
柳さん
あります。完全に趣味の話になりますけど。私は美術館に行くのが好きなんですが、福岡は東京に比べると美術館が少ないですよね。
あと旅行も好きなんですが、直行便で行ける先は激減しました。ただ、国内であれば、もともと関西から西が好きなので、そちらに行くときは近くなりましたが(笑)。
東京で感じていた「二重苦」がなくなった
インタビュアー
最後に、収入面について伺います。転職前後で、収入はどのように変わりましたか?
柳さん
下がりましたね。転職の相談をした前職の先輩にも、「とはいえ、給料下がるんじゃないの?」と言われていましたが、入行時で3割程度のダウンとなりました。そこから3年で、今は2割程度のダウンまで戻ってきています。
ただ、これはこれまでが良すぎたという面もあると思っています。保険会社にしてもコンサルにしても、一般的に銀行よりも給与が高い業界ですから。
しかも福岡での生活は、東京と比べてお金がかからないですからね。帰ってきたときは独身だったので、家賃はあえて東京と同じにしましたけど、同じ家賃で福岡では通勤に便利な都心部で、部屋も一回り広くなりました。
東京では、仕事の負担に加えて、住環境にもコストがかかるという「二重苦」を感じていたんですが、今はそれがなくなりました。
インタビュアー
収入は下がったものの、仕事や暮らし全体で見ると、福岡に戻ったことで負担はかなり軽くなったんですね。
柳さん
そうですね。もちろん仕事でプレッシャーを感じることはありますが、今は働く環境も良くなりましたし、休みの日はちゃんと休めるようになって、オン・オフもきっちりできるようになりました。本当にそれが良かったと思っています。
インタビュアー
今日はいろいろなお話を聞かせていただいて、ありがとうございました。
柳さん
こちらこそ、ありがとうございました。